旦那・女将のとっておき話「新橋芸者が愛した座禅豆」 

そもそも座禅豆と申しますのは岩手県で採れる、俗に雁喰い豆の事を指しました。
僧侶が座禅を組む時に食べたので「座禅豆」と呼ぶようになった説と原料の 雁喰い豆の形が 座禅の組足に似ているからその名がついたという2つの説が御座います。
その雁喰い豆を、禅宗の住職から砂糖で煮る事を伝授され「ザゼン、ザゼン」と江戸市中を天秤担ぎながら行商して歩きました。

天秤担いで商いを始めた、初代の田巻七兵衛は、越後南蒲原郡 通称玉木村 (現・新潟県南蒲原郡田上町) 出身で郷里の名にちなんで玉木屋と屋号を称し、江戸片側町 (現在の新橋1丁目) に小さな店を構えたのが、新橋玉木屋の始まりで御座います。
普通の黒豆と違って固く煮た豆で、噛めば、噛む程豆古来の旨みが出てくる、その深い味わいが江戸っ子の評判となり瞬く間に、江戸町民の間で、流行しました。(店の前に竹垣を作って並んで頂く程でした)
又当時は花柳界が盛んで、何時とはなしに新橋芸者の間で、玉木屋の座禅豆を食べると声がきれいになるとの噂が流れる様になり、お座敷に上がる前に徳利を持参して、その日に煮た座禅豆の煮汁を貰い受け その煮汁を飲んでからお座敷に上がったそうです。又当時大ヒットした (イヨマンテの夜) を歌った伊藤久男さんは頻繁に座禅豆を買いに見えたと聞いております。当時は科学的な事は解らず経験則で判断していたようですが、現在では、ポリフェノールが沢山含まれている事が科学的に証明された訳です。
その後、世の中は堅い物より柔い物が嗜好されるようになった事から、座禅豆も現代の嗜好に合わせて徐々にソフトな製法の座禅豆に変更されて行きましたが、新橋玉木屋の座禅豆は現在でも 知る人ぞ知る ロングセラー商品として創業以来235年もの間、お客様に喜んで頂いております。

 

株式会社新橋玉木屋
田巻章子